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論点整理 新担い手政策の問題点

論点整理 新担い手政策の問題点

提携米ネットワーク

提携米ネットワークとして、新農政、担い手政策に対する問題提起と考え方をまとめました。
議論の一助となれば幸いです。
提携米ネットワーク http://teikeimai.net/main/

1 総論
農家ひとりひとりが創意工夫し、自立する農業のために必要な政策は、貿易措置(関税措置)と個別農家への必要に応じた直接支払い (環境直接支払い)のみでよい。
それ以上の政策措置は農業構造の変化をかえって遅らせ、政策のための無駄な税金の投入となる。
担い手集中政策、集落営農誘導は、強制ではないとしているが、それにともなう助成、補助金のありかたによって、本来の農業自立ではなく、 地域社会に対する強制圧力となり、個人の経営の自由を奪い、かえって農村の地域社会を崩壊させる原因ともなる。 戦時中の大政翼賛会的な発想での農業経営への国家介入であり、危険な思想である。
国家による農業経営への直接介入と、地域社会の慣習、人的なつながりをみこした政策(補助、助成)は中止し、新規就農や農業環境の整備、 輸入に対する貿易措置、環境保全と農業生産の調和など農業や社会が必要とする政策に集中することが必要である。

2 各論(1) 集落営農
集落営農を、地域への補助金という形で強制・誘導することは、民主主義に対する挑戦である。そもそも、農業にはふたつの側面があり、 個別経営体として家族、法人といったそれぞれの形での生産・経営を行う私的領域と、水路・水管理、 共有地などの地域社会共同体として維持管理を行う公的領域がある。
今回の集落営農誘導政策は、農業の公的領域での合意形成(環境保全政策、地域協定等)のみならず、私的領域の生産・ 経営にまで国家が立ち入り、集落営農を行わなければ地域社会、地域農業が成り立たないと脅迫している。しかし、本来、生産・ 経営部分はそれぞれの経営体が考え、選択する自由をもつ部分であり、集落営農(経営体の統合)を行うのも、個人として経営を維持するのも、 小グループで法人化するのも、また、極端には廃業するのも自由である。この部分を、農業の公的領域と混同し、「農業を守るため」 との名目で集落営農を誘導するのは民主国家の行うことではない。
農業は、ひとつの産業であり、経営体の自己実現の場である。
集落営農誘導政策は、自立する農業者に対し、その土地を奪い、アイディアを奪い、認定農業者になれば重荷を背負わせ、 反対すれば村八分にする政策である。

3 各論(2) 担い手政策
集落営農とならび、農地集約のためとして担い手への集中政策がとられているが、これもまた、 集落営農と同様に農業の私的領域への国家介入である。農業を、経営として拡大していきたい経営体(個人、法人)は、自ら地域を説得し、 農地の貸借、買い入れを行うであろう。それを適切に判断し、農地を農地として有効に利用することさえ政策として担保されればよいのであって、 その経営体に農地を貸す、あるいは売るかどうかは、その経営体の信頼(信用)の問題である。この問題を単純化し、 集落営農に対する担い手の位置づけを行うことは、担い手となる経営体・経営者の自立を阻害し、農業の産業としての成長を妨げるものとなる。
国家が、国策として産業を選択し、その成長を管理誘導する手法は、日本が戦前より資本投下型の工業手法として鉄鋼、自動車、 半導体などで行ない、ある意味で成功してきた手法であるが、こと農業に関しては、過去の膨大な国家予算投入をしても成功せず、 むしろ農業経営体の自立を妨げ、農業を今のように弱体してきた最大の理由となっている。
担い手集中政策は過去にも行ってきたが、その担い手政策こそが、 本来もっとも国策に合致すべき大規模農業を志向する農業者さえも経営を困難にさせてきた。それは、 常に経営に対して国家が介入してきたからである。担い手要件を並べたて、担い手にならなければ融資がうけにくくし、 担い手になれば要件にそった経営を迫られる。それでは、創意工夫した自立的な農業経営などできないではないか。
戦後の米の生産調整(減反政策)を多額の国家予算をもって行い、その結果、農家が自立意識を失い、経営体としてのモラルを低下させ、 農地の固定化(流動化阻害)や耕作放棄を招き、その上で、需給を狂わせ、米に対する消費者の信頼を失わせてきた。 そしてついにその政策が破綻し、食糧庁が解体されたにもかかわらず、今もまだ、 自主的な生産調整といいながら事実上の国家指導型減反政策を続けている。今回の担い手要件にふたたびこれら「自主的な生産調整」 が取り入れられていることを見れば、この担い手もまた、手足を縛られ、 創意工夫ある自由な経営が許されないことは火を見るよりも明らかである。
経営体に対する国家介入は、行うべきではない。

4 各論(3) 環境政策とインフラ整備
では、農業政策はなにをすればいいのか。国内に対しては、持続的な農業生産ができるための環境政策とインフラの整備である。
環境政策に関しては、持続的な農業生産のための環境負荷低減技術の支援、本来の環境保全のための地域協定と、 その個別作業に対する直接支払い、農地の非農地使用への制限、耕作放棄地等に対して農地として維持するための土地流動化支援等である。
インフラ整備に関しては、環境政策とあわせ持続的な農業生産、環境保全のための公共事業、新規就農に対する低利融資、 税制優遇などの産業としての導入策、あるいは、廃業にともなう農地の保全(と農地としての流動化)のための政策、 あるいは小規模経営体に対する必要に応じた融資保証等の最低限の私的領域政策が望まれる。

5 各論(4) 貿易と国境措置
むしろ、国家に求められる最大の農業政策は貿易と国境措置である。WTO体制とFTA政策の推進によりにより、世界および地域の環境、文化、 社会のありようを崩壊させるような自由貿易体制がとられつつある。無制限な食糧貿易は、国家の自立や安全保障をゆるがし、 自然環境を崩壊させ、食料の安定供給に対し潜在的な危機と不安を増大させる。先進国最大の食料輸入国=外国依存国である日本は、輸出国の水、 土といった環境資源、労働資源を奪い、貧困層の食料へのアクセス力(調達力)を奪うことによって食糧供給を成り立たせている。それは、 国家として恥ずべき行為であり、先進国として、持続的な社会、環境を維持発展させる上でも、できる限りの食料自給率向上を行い、 他国への環境負荷等をさけるべきである。
そのために、貿易に対する国境措置は必要である。WTO・FTA体制の中で、世界を説得し、食料の無制限の自由貿易をくい止め、同時に、 最大限の国境措置を行う、これこそが我が国の長期的な自立と世界への責任のとりようである。

付記:WTO農業交渉は2006年4月のモダリティ確立、7月の譲許表提出といったスケジュールが組まれている。 農産物輸出国に都合のよい、関税引き下げ案、輸出補助金削減案、などを認めるべきではない。

[ 2006年02月17日 ]

日本農業の崩壊・解体を推進する21世紀農政

-新「基本計画」「基本計画工程表」「21世紀新農政」 -

 

 

中島紀一

 

 一年間の派手な「農政改革論」の結末は、新「基本計画」・「基本計画工程表」・「21世紀新農政」 という3つの政策文書として示された。 048月の 「中間論点整理」では、このような結末は想定されていなかった。新「基本計画」 作成についての農水省の方針転換は11月末ころにあった。 いわゆる「担い手絞り込み」の明確化に自民党筋が強く反発したこととアジアEPAの推進が本格化したことの2点が方針転換の直接の契機だった。 11月段階までは 「農政改革」論議の主舞台となり、その審議動向が注目されてきた「食料・農業・農村政策審議会企画部会」での議論は、 12月から突然、 緊張感が喪失し、締まりのない散漫な論議で時間前に早々に終了するという状態となった。政治判断がすでに決せられ、 「審議会論議」の必要性が失われたということなのだろう。

 

 「食料・農業・農村基本法」で定められた「基本計画」の枠組みは次のようである。

第十五条 政府は、食料、農業及び農村に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、食料・農業・農村基本計画(以下「基本計画」 という。)を定めなければならない。2 基本計画は、次に掲げる事項について定めるものとする。

 一 食料、農業及び農村に関する施策についての基本的な方針

 二 食料自給率の目標

 三 食料、農業及び農村に関し、政府が総合的かつ計画的に講ずべき施策

 四 前三号に掲げるもののほか、食料、農業及び農村に関する施策を総合的かつ計画的に推進するために必要な事項

 

 この定めに基づいた「基本計画」には、これから5年間の日本農政の基本方向と段取りがすべて書き込まれている筈のもので、 したがって「工程表」も「新農政」も包摂されるのが当然の筋だろう。ところが今回は053月、 ほぼ同時に3つの政策文書は、 相互の関係が明確でない別のものとして決定された。

 「工程表」には「施策を計画的に推進していくための行政府としての実行計画として、閣議決定される基本計画とは別途のものとして作成」 と明記されている。また、「21世紀新農政」 は「食料・農業・農村政策推進本部」として322日に決定されており、 そこには新「基本計画」推進の文言はなく、文書名も「21世紀新農政の推進について~攻めの農政への転換~」 となっており、新「基本計画」とは別物とされている。新「基本計画」が325日に閣議決定される3日前のことであった。

 

 3つの政策文書のごくおおまかな内容は次のようである。

 新「基本計画」

 10年後の自給率目標については、 カロリーベース45% (現状40% )へという目標を5年先送り、 新たに金額ベース76% (現状70% )という目標を設定。自給率向上方策として「食育」「地産地消」の推進を強調。そのほかに「食料の安定供給」 「農業の持続的発展」「農村の振興」についての施策項目が総花的に列記されている。04年 「中間論点整理」の枠組みとはかなり異なったものとなっている。

 「基本計画工程表」

 一応新「基本計画」の各項目に対応する形にはなっているが、中心は「望ましい農業構造の確立にむけた担い手の育成・確保」にあり、 そこでは「農業構造の展望」(平成27年目標) が示され「効率的かつ安定的な農業経営」として「家族農業経営3337万」 「集落営農経営24万」 「法人経営1万」 に絞り込むことが明記された。

 「21世紀新農政」

 「これまでの政策に係わる常識を打ち破り、新たな価値を創造する観点に立って食料・農業・農村政策を見直し、攻めの発想に立った農政、 消費者に軸足をおいた農政、都市市民、企業など多様な主体と価値観を共有する農政、 地域や農業経営のやる気と創意工夫の発揮を後押しする農政を確立することが必要である」

 具体的には次の7課題を提起。 そこには自給率の視点も環境保全の視点もほとんど見あたらない。①消費者重視の食料供給・消費システムの確立、②食育の推進、 ③未来を拓く技術開発、④地球温暖化防止に向けたバイオマスの利活用、⑤高品質で安全・安心な我が国農林水産物・ 食品の輸出促進、⑥農業・農村に関する価値の社会的共有、⑦やる気と能力のある経営者が中心となった農業構造の確立。

 

 こうした3文書の基本的性格付けとしては、 新「基本計画」は基本法対応の建前論、「工程表」は農水省官僚農政の本音論、 「21世紀新農政」 は小泉流パフォーマンス政治家たちの政治論、 ということになろう。しかし、最大の問題点は、これらの3文書は結局、 その場を糊塗するための言い訳論でしかなく、政治の本音は、 アジアグローバリズムの推進と日本農業の解体放棄の黙認にあると言う点だろう。

 これら3文書に共通していることは、 いま日本農業は深刻な解体的危機、平成農業恐慌の直中にあることへの認識の完全な欠落である。 その危機の直接的原因が85年プラザ合意以来の円高下での農産物価格の構造的下落、 すなわち生産継続を断念せざるを得ないような止め処ない農産物価格下落構造にあることを隠蔽している点も共通している。 いずれの文書にも価格問題への言及は全くない。さらに言えば、 日本農業の問題点はダメな農家が農業を占有し続けているところにあるから、ダメな農家が離農することは良いことだ、 地域的にも離農促進運動を官民一体で作っていくことが必要だという、 驚くべき認識が平然と語られていることも重要な共通点である。「新しい価値観の創造」も「地産地消」や「食育」も、 「都市市民の農業参加」も、さらには「環境保全型農業への転換」も、そうした「農政放棄」 のための方便として便利に使われてしまっている。

 「自給を高め、環境を守り育てる日本農業の再構築をめざして」開催された「3.26有機農業振興政策の本格的確立を求める緊急全国集会」 とそれを機として取り組まれる「日本農業再構築全国運動」(仮称)は、農政のこうした誤魔化しのペテン的展開をきちんと暴き、 それと全面的に対決し、有機農業、環境創造型農業を軸とする新しい日本農業を創り出していこうとする取り組みである。 この運動は耕す農民を中軸とし、それと連帯するすべての市民、団体、事業体等を総結集して進められていく。     

 

 

[ 2005年12月05日 ]

食料・農業・農村基本計画・見直し

中間論点整理」(20048月) への批判点

衆議院農林水産調査室(200411月)

「食料・農業・農村基本計画の見直しと今後の農政展開」についての学識経験者等の見解

 

中島紀一(茨城大学農学部教授)

 

 

 今回の「中間論点整理」には基本的に賛成できない。日本農業の現状認識が基本点で異なるし、提起された政策方向にも反対である。 今回の農政改革は日本農政の基本的性格を変えようとするもので、これによって日本農業の危機をいっそう深刻化させることになるだろう。

 

1.日本農業の危機への認識

 まず「中間論点整理」には現在の日本農業の危機についての認識が欠落している。そこでは農業の危機ではなく「構造政策の立ち後れの危機」 が語られているに過ぎない。私は日本農業はいま崩壊的危機のなかにあり、崩壊はすでに音を立てて進行していると認識している。 90年代以降の様相はことに深刻で平成農業恐慌と呼ぶべき状況だと考えている。 それは循環型恐慌ではなく構造化されたグローバル恐慌とみるべきだろう。

 したがっていま農政に求められていることは、構造改革の断行などではなく、危機緩和、崩壊阻止、恐慌脱出の緊急措置であり、 危機の中でも耕し続ける人々への励ましであろう。

 

2.農業危機の根本原因は構造問題ではない

 「中間論点整理」では、現在の日本農業の最大の問題は構造問題だとしているが、この認識は間違い、あるいはすり替えで、 最大の問題は農産物価格の構造的下落による収益性の悪化と先行きへの見通しの暗さにあるとすべきだろう。 収益性の悪化は規模拡大農家の経営を直撃しつつあり、規模拡大負債を抱えた農家の事実上の倒産が続いている。

 構造政策における現時点の問題点は、規模拡大農家に農業資源を集中しにくいという点にあるのではなく、 むしろ規模拡大農家の経営危機の恒常化、規模拡大投資の危険性の拡大、規模拡大農家の経営計画を超えた貸地依頼の集中等にある。 要するに規模拡大農家も農業危機の直撃を受けているということである。

 

3.いま農家が耕し続けることが悪なのか

 農産物価格が下落し、採算性が極端に悪化し、農業の働き手の過半は65歳以上となっているなかで、 農家はなお田畑を耕し続けている。この営農意欲が、危機の中でも日本農業が存続している基礎となっている。 したがって本来農政はこれらの耕す人々にまず敬意と声援を送るべきだろう。ところが「中間論点整理」では、これらの普通の農家、 すなわち零細な高齢者農家の営農の継続をあたかも悪であるかのように位置付けている。

 たとえば「2.(1)農業の構造改革の立ち後れ」には次のように記されている。

 「農業従事者の減少・高齢化、農地面積の減少が加速している。一方、特に土地利用型農業において農業経営の規模拡大が遅れており、 効率的かつ安定的な農業経営の育成・確保や新規就農者の受け入れも十分に進んでいない。このまま農業の生産構造の脆弱化が進行すれば、 食料の安定供給の確保や多面的機能の発揮、地域の経済・社会の維持・発展に重大な支障が生じるおそれがある。」

 一見常識的で妥当な文章のようにみえるが、どこか根本的に違っている。

 日本農業は規模が小さく高齢化しているから脆弱なのではなく、農業の経営条件が悪いことが農業の脆弱さの原因であり、実態なのだ。 その厳しい実態の中で、零細な農家、高齢農業者もなお耕し続け、 そのことで食料の安定供給や多面的機能は辛くも維持されているのが現状だとすべきだろう。 零細農家や高齢者が耕していることに問題があるのではなく、 かつては厚く存在していた中核的農家群や壮年の働き手の撤退が極度に進行していることが問題なのである。

 繰り返しになるが、いま必要なことは、まずは生産基盤の脆弱化、崩壊化を食い止め、農業の継続体制を維持することであろう。 危機の中でもよりたくましく生き抜ける農業の構築、育成策はその次の策とすべきであろう。農業構造改革の呼びかけに答えて、零細農家、 高齢者農家がいまいっせいに農業から離脱したとしたら、日本の食卓も、日本の農村も、日本の自然も、 全面崩壊の事態となることは明らかである。

 

4.家産的農地所有はいまなお尊重されるべき社会規範である

 農地面積の減少、優良農地の荒廃、農地利用の空洞化など、農地資源の保全についても危機が進行している。それに対する「中間論点整理」 の処方は、農地利用の流動化の促進、担い手農家への農地利用の集積、というもののようである。 そこでは零細な農家の家産的土地所有意識が合理的農地利用を阻んでいるとの認識があるように思われる。

 「世代預かり的農地所有」とされる農家の伝統的意識構造は、現代社会とはそぐわない面もあるが、 農地利用の持続性や多面的機能の確保等の農地の公共性維持という側面からすれば、たとえば仮に株式会社等が農地を所有した場合と比べて、 全体として遙かに優れていることは明らかではないか。 いま直ちに農家がこうした土地規範を放棄したとすれば農地の荒廃は取り返しのつかない状況となるであろう。農地保全政策において、 農家的土地所有のもつ現代的意義は改めて十分に認識されるべきだと思われる。

 

5.「プロ農家」は直ちに「担い手農家」なのか

 基本計画見直し論議の初めの頃には農水省サイドからは「プロ農家」という言葉がさかんに使われていた。ところがいつの間にか「プロ農家」 は「担い手農家」ということばに置き換えられた。農水省としてこの二つの言葉にどのような概念的な違いがあるとしているかは知らないが、 そこに概念の違いがあるとするのが常識だろう。ところが「中間論点整理」ではこの二つの言葉の意味の違いがきわめて不鮮明である。

 農水省の定義は知らないが、「プロ農家」についての常識的理解は、経営的に自立し、我が道を進み得る農家といったものだろう。 そこには当然たくましさは認められるが、しかし、「プロ農家」は必ずしも公共性を経営論理として内在させている訳ではない。 たとえば集落の農地保全と「プロ農家」の経営論理は通常両立しない。これまでの経過からすれば、「プロ農家」 が環境保全型農業に熱心だということもない。有機農業などに敵対する「プロ農家」も少なくなかった。地域社会においても「プロ農家」 が孤立しているという場面は多く見られる。

 これに対して「担い手農家」は経営的に優れているだけでなく、農業の公共性を支える農家というイメージが強い。 言葉のイメージとしては国などの農業政策においては「プロ農家」よりも「担い手農家」の方が言葉としては穏やかですわりが良い。しかし、 率直に言って「担い手農家」という言葉には実態が見えない。それは農政論の願望的理念とでも言うべきで、 その存在は実態論としてはほとんど解明把握できていない。農業の公共性を担う農家、あるいは農家組織という面で言えば、むしろ「プロ農家」 よりも普通の農家や集落組織、農協組織の方がそれに近いのではないか。たとえば、米の生産調整については、「プロ農家」 はおおむね嫌悪感を抱いていると思われるが、集落組織や農協組織はおおむねそれを受け入れてきた。

 「担い手農家」の語感には、農業を単なる産業としてではなく、多面的機能などももつ公共性の高い営みとして捉えるというイメージがある。 しかし、「中間論点整理」における実態論としての「担い手農家」はほとんど「プロ農家」と同じであり、それを「担い手農家」 と言い換えているに過ぎないのではないか。とすればこれは言葉のすり替えである。

 「中間論点整理」が提起する農政像は、農業保護はごく少数の「担い手農家」だけに絞り込み、 普通の農家が普通に耕し続けることも農政上はあたかも悪であるかのように位置付けるというたいへん過激なもので、農業、 農村の全体的な維持と保全を建前としてきた日本農政のこれまでのあり方とは根本的に異なっている。 それは農業の産業的自立を本義とした旧農業基本法を廃止し、より幅広い農業の位置づけの政策化をうたった食料・農業・ 農村基本法の精神とも大きく食い違っている。このような「中間論点整理」を、新しい食料・農業・ 農村基本計画の骨子としていくには相当な無理がある。それをあえて強行していくための鍵として「担い手農家」が位置付けられている。 とすればこれは単なる言葉のすり替えではなく、正しく欺瞞と言うべきだろう。

 

6.農業の新しい動きは産業型農業ではなく生活型農業の線上にある

 「中間論点整理」では「農業・農村における新たな動き」として①生産者と食品メーカー、外食産業との連携・ 協力による新商品開発や販路拡大、②女性が中心になった生産物直売、地産地消、スローフードの活動の浸透、 ③農業生産や農産物流通におけるインターネット、GIS ICタグの実用化、 の3つを挙げている。また、日本農業の今後の活路として④我が国の農産物や食品の輸出拡大は好機を迎えていると述べている。

 しかし、①については部分的な成功はあるようだが、食品メーカーや外食産業は全体としては輸入食材にシフトしており、 多くの場合価格引き下げ要求が強く、取り引きの継続性には危うさを含んでいる例が多い。③については、マスコミ的期待感は大きいが、 まだ試行の段階であり、現実的実用性の点で成功している例はほとんどない。したがってこれらをもって日本農業の夢とするわけにはいかない。 さらに④についてはいったいなにを根拠にこのような見通しを示すのか、ほとんど不明である。まさか、 本気で日本農業総体が輸出産業として生き抜いていくと考えているわけではあるまい。

 90年代以降の日本農業の活力として実体的根拠のある動きは②である。 しかし、これは「中間論点整理」が農政の方向として示している産業型農業の線上での動きではなく、 それと対抗的に展開してきた生活型農業あるいは地域社会型農業として草の根で取り組まれてきたものである。 もし②を日本農業の将来像として位置付けるなら、 そうした動きと敵対してきた産業型農業志向の40年余の農政の歩みを十分に総括すべきだろう。 5年前の食料・ 農業・農村基本計画でさえ、食料自給率の向上策に地産地消など地域自給の推進の視点は完全に欠落していたのである。

 

7.整合性に欠ける農業環境政策論

 「中間論点整理」では「政策改革の方向」の最後に農業環境政策の推進が述べられている。農業環境政策についてもさまざまな論点があるが、 個々の論点に立ち入る前にこの政策の農政全体に対する基本的位置づけが厳しく問われるべきだろう。

 「中間論点整理」で展開してきた農業産業化政策と農業環境政策はどのように整合するのだろうか。「中間論点整理」の農業産業化政策は、 旧基本法農政の近代化農政と軌を一にするものだが、誰でも判るように農業環境問題の根幹は近代化農政にあった。 その後一定の修正は図られたが、農政は農業環境問題の存在自体を隠し続け、有機農業等の環境保全型農業の取り組みと敵対し続けてきた。 だがこうした論点は「中間論点整理」ではまったく触れられていない。 200312月に、 農業者との公式の協議もなく突然発表された「農林水産環境政策の基本方針」には「基本認識」 として次のような見方が示されている。

 農林水産業は工業等とは違って、自然と対立するのではなく自然と順応し、自然の恵みを享受できる生産活動だ、 としたうえで

 「しかしながら、農林水産業者の高齢化や所得の減少などにより生産活動が低下し、耕作放棄地や間伐が行われていない森林が増加したり、 里地里山の荒廃が進行しています。また、肥料、 農薬の過剰投入や家畜排せつ物の不適切な管理がなされることによる環境への影響が懸念されます。さらに農林水産関係事業の実施に当たっては、 環境との調和への取組が課題となっています。」

 なんとあっけからんとした記述だろうか。たとえば農水省が一貫して推進しつづけている農薬の空中散布などはどう位置付けるのだろうか。 環境を壊し続けてきた農業近代化政策の責任を国はどのように考えているのだろうか。 この問題についての第一当事者は農林水産省だということがまったく自覚されていない。

 この記述によれば、里地里山の荒廃は高齢者等の草刈りなどの努力が不足しているためであり、 農業による環境負荷は農家の不心得によるのだとされてしまう。なんという不見識だろうか。 高齢者たちはいまも懸命に草刈りを続けているのであり、農家は環境保全など気にするなと普及事業等から指導を受け続けてきたのだ。

 しかし、この無自覚なあっけからんとした認識体質は農業環境政策の基本をなしており、看過すべきではない。

  いま農業環境政策において求められることは、農業近代化政策の根本的見直しであり、それを踏まえた農業施策の転換である。 環境保全型農業は農政の部分政策としてではなく日本農業全体が早急に移行転換すべき現実的課題目標として設定されるべきなのだ。

 

8.汚染者負担の原則(PPP原則) の適用には慎重に進めるべきだ

 「中間論点整理」では汚染者負担の原則を農業でも適用していくべきだというに近いことが述べられている。しかし、 農業をPPP原則の適用から除外すると言うことは国際的にも認められた考え方であった。 農業における環境負荷軽減と環境保全はPPP原則という方向ではなく、 環境負荷規制を強め、環境負荷的技術を排除し、環境保全型農業を奨励、推進し、そのための条件を整備する、 等によって進めるというのが基本的なあり方であろう。PPP原則の農業への適用については慎重な対応が必要だと思われる。

 家畜排せつ物処理の法的規制が、PPP原則的な施策の始まりと考えられるが、 一方で飼料自給と切り離された加工型畜産を推進しつつ、 もう一方で糞尿処理だけを規制するという施策のあり方は農業者を苦しめるだけで、問題の本質的解決にはつながりにくい。

 

9.「農業環境規範」の策定は農業者のイニシアティブで時間をかけて

 農業環境政策の具体的施策手法の第一として「環境と調和のとれた農業生産活動の確保を図るため、農業者が最低限取り組むべき規範を策定し、 各種支援策を実施する際の要件として、この規範の実施を求めていく」とし、さらに具体的には「農業者が最低限取り組むべき規範については、 平成16年度中に有識者の意見を踏まえて策定するとともに、 平成17年度以降、 その規範の実践を各種支援策のうち可能なものから要件化していくことが適当である」としている。

 いわゆる環境農業規範(環境GAP) である。しかし、いかにも唐突である。これまで農業現場ではこんな話は全くされてこなかった。 これに類する農業者の取り組みとしては全国産直産地リーダー協議会の「エコ農業宣言」(20002月) くらいではなかったか。まして農水省が「農業環境規範」を策定するなど数年前には想定さえできなかった。

 考え方としては「農業環境規範」の策定は適切なことだろう。しかし、ことは農業者自身の行動規範なのである。 規範とは本来内在性の強い社会モラルのことであろう。それが突然、農水省によって上から決められ、それに農業者が縛られていくという構図は、 まったく「規範」ということばにふさわしくない。「農業環境規範」のまえにまず農水省自身が深く自己批判すべきだし、 規範形成は農業者のイニシアティブで進めるべきである。そのためには時間が必要だ。これまで何もしてこなかったのだから「規範」 形成にある程度の時間がかかることは仕方がない。

 しかし、こんなことは少し考えればすぐに判ることである。それをあえてこのような上からのいきなりの基準策定という形で進めるのは、 むしろこうした形にこの施策の本質が示されていると考えるべきかもしれない。「第三者による基準策定と基準に基づく裁定」 という形を行政のあり方にしていこうとする意図が農水省にはあるのではないか。行政自身は当事者としての責任は負わず、適当に基準を策定し、 それに基づいて、行政は民間の活動を管理監督していくという図式である。すでに「消費者に軸足をおく」 とする食品安全行政はそのようになっている。そこでは農業者は管理監督対象、さらには取り締まり対象となっている。

 農業危機のいま、農政がこのような形へと自らのポジションを転換していくこと、これは逃亡とでも言うべき事態ではないのか。

[ 2005年12月05日 ]

東北アジアにおける水田農業の歩みとこれから

 

 1. 東北アジア稲作形成の骨格をめぐって

 

 モンスーンアジアの水田農業は、温暖な気候、雨期と乾期のサイクル、低湿地を基盤として主としてインディカ粳米作として展開し、 それは次第に大河川下流の広大な低湿地へと広がっていった。上流の傾斜地域については焼畑- インディカ糯米の異なったタイプの稲作が定着していた。それに対して東北アジアはモンスーン気候の北辺に位置し、 湿潤夏期と寒冷乾燥冬期の気候サイクルの下で寒冷地ジャポニカ米稲作が展開定着している。

 中国では東北地方での稲作の成長が注目されているが、それは中国南方の稲作が北へ伝播したのではなく、 南方稲作とは異なった類型の稲作として、中国北方稲作として把握されるべきものと考えられる。林哲浩の研究によれば、 中国北方稲作は約150年前頃から継続的に朝鮮半島から伝播されたもので、 その担い手は朝鮮半島から中国東北部に移住した朝鮮族の農民たちであり、 その技術内容は朝鮮半島や日本からの影響を受けながらも、 基本的には寒冷性のきわめて強い中国東北部の風土条件の下で中国朝鮮族自身の苦難の努力のなかから自生的に形成されてきたものであった。

 日本の稲作の初期の伝来ルートについては、海の道説、大陸伝播説、朝鮮半島伝播説など諸説があるが、 今日の日本稲作の原型が朝鮮半島稲作の中に見いだされることは明らかである。しかし、その伝播時期は少なくとも中世期以前と想定され、 それ以降の発展は専ら日本国内での技術改良であった。

 韓国における近代の稲作発展に日本の関与があったのかどうかについては日本では研究されていない。したがって推測でしかないが、 20世紀前半期の不幸な両国関係、 後半期からの韓国の独自の発展という全体状況を踏まえるならば、日本の積極的な関与があったとは考えにくい。

 改革開放下の中国東北部稲作の発展には日本のすぐれた稲作技術者の協力が大きな役割を果たしたとされている。吉林省における田中稔氏、 黒竜江省における藤原長作氏、原正一氏らの貢献である。これらの日本人技術者は戦後日本の寒冷地稲作技術をていねいに伝え、 それぞれの地域の稲作発展に大きく貢献し、いまも現地農民から感謝されている。しかし、 これら日本人技術者が良い役割を果たしたことは事実としても、 中国東北部稲作の最近の技術的発展を専ら日本からの技術移転として把握することは誤りであろう。中国東北部の稲作農民や技術者 (そのほとんどは朝鮮族)は日本の技術を参考にしながらも、基本的には独自の技術改良によって発展を作り出したと考えるべきだろう。

 このことは200011月に日本・ 山形県で開催された第2回の本会議における金吉沫氏の報告や20037月に中国・ 延吉市で開催された第3回の本会議の折りに見学した超薄播播種器などによっても証明される。 すなわち金氏は同会議において独自の技術改良によって、吉林省北部の強寒冷地域において健苗、超疎植、 深水で冷害を回避し稲作の安定多収を実現してきたことを報告された。 この技術は日本における環境保全型稲作技術ときわめて類似しているが、内容的には日本を超える水準に達しており、 しかもその技術系譜は自生的なものであった。また、 翌年に見学した播種器は稲葉光國氏考案の40グラム薄播播種器と類似しているが、 これも明らかに自生的農具であった。

 以上のような東北アジア稲作の形成史は骨格として次のように整理できると思われる。

①東北アジア稲作はアジアモンスーン稲作に含まれるが東南アジア稲作とは異なった類型のものである。

②東北アジア稲作の原型は朝鮮半島で形作られ、それが日本、中国東北部に伝播した。

③しかし、韓国、中国、日本におけるその後の技術発展は相互の影響もあったと思われるが、 基本的にはそれぞれの地域の農民と技術者がそれぞれの地域の風土条件の中で改良努力を積み重ねた結果であり、技術形成は自生的であった。

 本国際会議において、これらの諸点について検討され、認識が共有され新たな知見が得られれば幸いである。

 

 

2.国際貿易資源となった東北アジア稲作

 

 いま、アジア地域にもWTO体制下でのグローバル経済の激流が渦巻いている。 中国の経済成長が世界経済を牽引し、21世紀には中国を一つの核とした新しい世界経済の姿が形作られていくことはほぼ確実視されている。 それに対応して北米の自由貿易圏、拡大強化されたEUの後を追う形でアジア経済圏の構想がさまざまな形で提案されている。 アジア経済圏構想はとりあえずはASEANを軸に東南アジア地域でという流れだが、 併せて中韓日の東アジア経済圏構想も提起されている。

 いずれもまだ思いつき的構想の域を出ていないようだが、 さまざまな経済状態の国々を含む地域的な自由貿易圏構想において農産物貿易の拡大は重要な要素となる。

 中国では従来は南方稲作を基盤としたインディカ米が米消費の大勢を占めていたが、東北部でのジャポニカ米生産の拡大を背景として、 東北部産米の消費が急増し、ジャポニカ米は不足、インディカ米は相当な過剰という状況となっている。東北部産米の消費は北京、天津等から、 上海、南京、さらには香港方面にも広がりつつある。こうしたなかで中国国内での米の産地間競争が激化しつつある。東北部では、 米の主産地はかつては吉林省であったが、黒竜江省の国営農場等での生産が拡大し、積極的なマーケティングの効果もあって、 主産地は黒竜江省へと移動している。また、中国は日本や韓国への東北部産米の輸出にもたいへん意欲的である。 とくに韓国の場合は中国の生産者が朝鮮族であるため、中国からの米輸入の圧力はきわめて高いと思われる。日本の場合は、 コストダウンを強く求められる外食、中食、加工食品分野への中国東北部米の大量の流入が予測されている。

 このような東北アジア稲作をめぐる国際情勢についても、本国際会議においてそれぞれ把握している情報を交換しあい、 その動向と意味について生産者の立場から多面的に検討されることを期待したい。

 

 

3.地域自給の基礎としての東北アジア稲作

 

 だが、モンスーンアジアにおいて、米は、太古の時代から、まずは稲作農民の自給食物として生産され、 つづいて生産地周辺地域に住む人々の地域的自給食物として生産されてきた。米が商品として流通する歴史は長いが、 20世紀前半頃までは都市において商品として流通する米の大半は商品として生産された米ではなかった。 商品として流通する米は、専制国家的租税として、地主的地代として、あるいは植民地的収奪として、 稲作農民から取り上げられた米が大半を占めていたと考えられる。だから稲作農民にとって長い間、 米は自給物であるとともに奪われる労働の産物であった。

 米は自給的食物、生産物としてきわめてすぐれた特質をもっている。

①米は生産力がきわめて高い。米の籾1粒あたり生産性はいずれの地域でも5001000倍程度は確保されていると思われるが、 これは小麦やトウモロコシの生産性より、ほぼ一桁高い水準にある。

②米の生産力は、地域資源の循環利用によって支えられてきた。まず水田の基礎に水があるがこれは土壌と並ぶ普遍的な地域資源である。また、 肥料は主として地域の草資源に依存してきたが、これもまた普遍的な地域資源である。 普遍的な地域資源の循環利用は定住的暮らしにおける自給にとって不可欠な要素である。また、 こうした地域資源の循環利用は個人の力だけでは実現が難しいため、 その実現のために地域的な協働体制が不可欠なものとして形成されることになった。

③水田水稲作には連作障害が無く、水田土壌は養分集積的で、かつ湛水条件は有機物の分解を抑制し、水性生物の活動を活発化させるので、 地力保全的性格をもっている。これらの条件は生産の安定性、持続性にきわめて重要であり、それ故、 地域の自給体制の安定的持続的確立にとって大きな意味をもっている。

④米は栄養的にもたいへん優れている。植物種子はいずれも完全栄養食物と理解できるが、米はタンパク質組成の点でも優れているされている。 また、調理の面では、米は粒も大きく扱いやすく、籾離れが良いため粒食ができるという優れた性質をもっている。 今日では白米消費が大勢となっており、栄養的には欠点を有してしまっているが、 米ぬかは有用な農業資源として活用できるという利点も生んでいる。

⑤米は副産物としてワラを産み出す。ワラは水田の地力維持資源としても、家畜の飼料としても、俵、筵、 縄などの農業生活用品の資材としてもたいへん有用で、それを利用する豊かなワラ文化も形成されてきた。 矮性化等の技術改良のために籾重に対するワラ重の比率は低下してきたが、自給視点からすればワラの資源的価値はいまなお大きいと考えられる。

 モンスーンアジアにおける人口集積と優れた文化の形成の基本的基盤は上述のような米の自給的な生産力(単なる物的生産力ではなく) にあったと考えられる。自給的な生産力は地域的なものであり、 したがってそれはそれぞれ地域の風土的歴史的条件を踏まえた米の豊かな消費文化も形成していった。

 このような米の自給的食物としての意義について、本研究会議で各国の状況を紹介し合い、 こうした自給的稲作文化の将来について考え合うことを期待したい。また、このような自給的稲作文化と、 2で述べたグローバリズムの経済動向は激しく対立するものとならざるを得ない。その点についても率直な討論を期待したい。

 

 

4.農業のバランスのとれた発展と有機農業

 

 東北アジアの諸地域はもともとの稲作地域ではなかった。そこでの在来農耕の原型はむしろ畑作にあったと考えられる。 水田基盤となっている土地は畑作農耕には向かない土地が多く、そこに水田農耕が外来文化として移入されてきたというのが、 初期における一般的な姿であったと思われる。一度移入された水田農耕が定着せず消失した地域もあったろうが、 3で述べた稲作の自給的な特質の故に、多くの地域では定着し次第に拡大していった。その過程は、畑作農耕の側から見れば、 畑作後退ということであった。もちろんその畑作農耕もまた基本的には伝統的風土的自給文化としてあった。

 3で併せて述べたように米は、専制国家的租税として、地主的地代として、あるいは植民地的収奪としてもきわめて有用であったため、 水田農耕の拡大は農民の側からだけでなく、支配者の側からも強力に推進された。 その結果日本では水田と畑の面積比率は全国平均でもほぼ半々となっている。 北陸地方の諸県では水田率は90% を超えるに至っている。しかも、水田農耕と畑作農耕が作業的に競合する場合には水田農耕の都合が優先することが多く、 この現象は日本の農業経営学においては「水田農業の独往性」として批判的に把握されてきた。

 日本の場合には、稲作の自給的な特質にもかかわらず、稲作農民の自給的暮らしを支えてきたのは、むしろ水田農耕に圧迫され、 後退した畑作であった。米は領主的租税、地主的地代としての収奪対象となっていたからである。 日本の稲作農民が米を常食にできるようになったのは農地改革によって地主制打破されてからであった。

 このような経過の中で、水田農耕は農家の暮らしというレベルで見ても、また、農家としてのあるいは地域としての農耕体系としても、 畑作農耕と、さらには里山利用との連携のなかで存在展開してきた。このことは農業と地域自然との共生という視点から見ても、 バランスのとれた農業の発展という視点から見ても、さらには地域の暮らしの総合性という視点から見ても正当なことであった。

 いま、水田農耕においても、畑作農耕においても、地域資源の循環利用を基盤とした有機農業の推進が各地で取り組まれている。 水田農耕における有機農業、畑作農耕における有機農業、あるいは畜産における有機農業はそれぞれに独自の課題があるが、しかし、 有機農業は本来はもっと総合的、複合的なものと考えるべきではないか。 地域における畑作農耕や里山利用との関連において水田農耕の有機農業をどのように展開していくか、 さらには水田農耕だけにこだわらずより総合的な、複合的な有機農業を農家として、地域としてどのように形成していくか、 そのための技術開発や流通・消費体制をどのように整えるか、といった論点についても、本研究会議で各国の実情や経験が交流され、 新しい展望が探られることを期待したい。  

2004.6.23. 日韓中環境保全型稲作技術会議/基調講演

茨城大学農学部教授・日本有機農業学会会長

中島 紀一

[ 2005年12月05日 ]

改正JAS法について

---有機農業振興とJAS法の接点とズレ- -

 

1.有機農業の基準・認証問題の原点

 

 その始まり:有機農業の基準は有機農業生産者が作り(自主基準)、有機農業農家自身が自己点検の結果として自らを認証する(自己認証) ところから始まった。このことは決していい加減な恣意性を意味しない。

 次に問われたことは、そうした自主基準・自己認証の客観化、標準化であった。基準や認証についての第三者性の付与という方向はそこから生まれた。 有機農業陣営主導の民間事業としての第三者認証制度の誕生。

 国による制度化はその次の段階の取組として位置付けられる。

 

 こうした経過から確認できるこの問題の原点は、

  ①有機農業の基準・認証制度は、有機農業の安定した展開があって初めて意味をもつものだということ。

  ②有機農業の基準・認証は、有機農産物への保証という形をとるが、それはその農産物が有機農業の生産物であるということへの保証であり、 その点で加工食品等の製造規格と品質保証制度とは本質的に異なるところがあるということ。

  ③それは消費者利益を保証し、保護する制度ではあるが、それは単なる商品選択権の問題ではなく、基準・認証によって、 消費者による有機農産物の安定した購買が確保され、それが有機農業の安定した発展を支え、そのことが結局は消費者市民の利益につながる、 という枠組みを論理的基礎としていること。

  ④では何故有機農業の安定した発展が消費者市民の利益となるのかと言えば、有機農業は農業本来のあり方の追究であり、本来の食べもの (それは当然のこととして安全で健康に良い美味しい食べもの)は本来の農業の営みから産み出されたものであり、 したがって消費者市民の利益は農業が本来のあり方を取り戻すことによって確保されるからだということ。

 

  関連して有機農業を「付加価値農業」とする考え方には本質的な誤解がある点について述べておきたい。有機農業の価値は付加価値ではなく、 農業の本来の価値の追求であり、有機農産物の価格は、そのような農業の継続のための必要価格として設定されてきた。 したがってそれはプレミアム価格ではないのである。有機農業は自らを特別な農業としてではなく、 普通の当たり前の農業でありたいと考えてきた。その意味で基準・認証の考え方と有機農業の本来のあり方との間には本質的な点でズレがある。

 

 

2.有機農業の基準・認証の運用で本来考慮されるべき点

 

  ①有機農業は「農業と環境」のより良い関係を作ろうとする取り組みであり、その点で本来「商品の規格基準論」 では測れない側面をもつということ。

   農政においては「農業が本来有する自然循環機能を発揮」という文言によってこの課題の重要性を承認しており、 有機JAS規格もこの認識を前提としている。 だが、「基準・認証」の運用においてこの側面は十分に配慮されてきていない。

  ②有機農業の技術と経営の現段階はいまだ不十分で未成熟で、安定した完成形には至っていない。「基準・認証」 の運用にあたってもこの点への配慮が不可欠である。

   近代農業は「農業と環境」の離別を前提とした生産性の追求を基本として組み立てられている。 有機農業はそうした近代農業の反省からスタートしているが、現代社会は有機農業の順調な展開を阻害しており、 有機農業の安定した展開には多くの困難がある。技術開発に関しては国や自治体の取り組みはほぼ皆無で、民間の努力にもかかわらずまだ未成熟、 未完成の状況を脱してい。

  ③有機農業は「農業と環境」のより良い関係をめざす21世紀農業の新しいあり方についての 「未来開発型」の取り組みで、そこではさまざまなチャレンジが旺盛に展開されることが望まれている。だがこうした「未来開発型」 取り組みにはリスクも多く、スタンダードを重視する「基準・認証」とは馴染みにくい側面をもっている。

  ④「環境と農業」のより良い関係は、地域ごとの風土的条件を踏まえて、地域的多様性のなかで発展充実していく。また「農業と環境」 の良い関係は大規模経営においても、小規模経営においても、若者も高齢者もそれぞれの条件下でそれぞれに追求していくべき課題である。 したがって有機農業にはこの点でも多様性があり、一律の基準の適用だけでは発展的展開は望めない。

  ⑤有機農業は生活自給の再建を志す取り組みであり、 生産物の販売は自給を超えた部分のお裾分けという形が望ましいというのが有機農業者の共通した思いである。農産物の売買は、したがって、 単なる商品取引ではなく、命を育む食べものの流通であってほしいと願ってきた。しかし、JAS法は農産物の商品取り引きにおける表示規制を旨とする法律であり、 そもそも有機農業の本旨とは食い違う点がある。

 

 

3.一律な強制制度としての有機JAS制度とその機械的運用

 

  有機農産物はJAS法において 「指定農林物資」として指定され、有機JAS規格と登録認定機関による第三者認証は例外のない強制制度となっている。 制度の枠組み検討についてはJAS調査会の小委員会での検討が必要とされているが、 日常運営は農水省消費・安全局と農林水産消費技術センターの裁量にまかされている。

  しかし、そこでは上記のような有機農業独自の諸問題はあまり考慮されていない。

  制度発足から5年が経過しているが、 数年前から制度の機械的運用、一律運用の傾向が強まり、特に2年前からは農政事務所の法に基づかない基準適合検査が、 あたかも強制検査のような形で広範囲に実施され、生産現場に強い負担感を与えてきた。

 

 

4.有機農業振興の視点から見たJAS法改正案の問題点

 

  今回のJAS法改正案は市場開放問題苦情処理対策本部 (OTO対策本部) の決定に対応した「同等性要件の撤廃」と、 登録認定機関の登録基準とその運用に不透明性があるとの指摘に対応したISOガイド65の導入の2点が基本内容となっている。 いずれも主眼はJAS法の国際化対応にあり、 有機JAS制度5年の運用状況を点検評価し、 その改善を図ることを狙いとはしていない。

    有機農業の振興には有機農業の特質を十分に考慮した有機農業振興法が必要であり、有機農産物の基準・ 認証は有機農業振興施策の一環として構築されるべきだというのが有機農業陣営の一致した見解だった。しかし、 こうした意見が退けられJAS法による有機農産物の基準・ 認証が実施されることになったため、有機農業陣営は有機JAS制度が有機農業の発展を阻害するような事態を避けるために、 自ら登録認定機関を立ち上げるなど新制度のより良い運用のために尽力してきた。

    こうして有機農業陣営の協力の下で進められた有機JAS制度5年間の評価としては、 海外農産物の格付けが圧倒的多数を占めるなど、海外対応には重大な問題点があることが明らかになったが、 国内格付けについては、 わが国ではまったく経験のない制度構築であったにもかかわらず、著しい混乱もなく、 おおむね適正に運用され、 有機農産物への国民の信頼度は高まったと評価できるだろう。

 

  この制度に参加し認定をうけた有機農業者による有機JAS制度へ評価は登録認定機関経由のアンケートでは、 全体的評価は概ね肯定的であったが、

    認証を取得して良かった      38.9

           やや良かった    25.2

           どちらとも言えない  30.7

                                            やや悪かった     2.7

           悪かった       1.8

  制度の今後のあり方としては、大幅な改善が必要との声が強かった。

    概ね現状のままで良い       32.1

                大幅な改善が必要         62.3

  改善すべき事項としては、書類作成の負担軽減、認定費用の引き下げ、輸入有機の規制強化、が多くの声となっている。

        書類作成の負担が大きい      38.0

        認定料等コスト負担が大きい    24.8

  輸入有機への規制を強化すべき   17.6